東京地方裁判所 昭和38年(ワ)4374号 判決 1966年5月31日
原告 武内佑好
被告 日本空港自動車株式会社
主文
被告は原告に対し、金二万六二〇〇円およびこれに対する昭和三八年六月一五日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その余を被告の各負担とする。
この判決は原告勝訴の部分にかぎり仮に執行することができる。
事実
第一、原告の申立および主張
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し、金一七万円およびこれに対する昭和三八年六月一五日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因、被告の抗弁に対する答弁ならびに再抗弁として、次のように述べた。
(請求原因)
一、被告は主として東京国際空港からの旅客を自動車によつて運送することを業とする会社であり、訴外山口林蔵は被告がその業務上使用していた自動車運転手である。
二、原告は昭和三八年二月二七日夜海外旅行から東京国際空港に帰着し、同日午後一一時すぎごろ同空港玄関前において、被告の業務に従事中の右山口運転手に依頼して、被告との間に自動車(いわゆるハイヤー)による旅客運送契約を締結し、同運転手の運転する自動車(トヨペツトクラウン一九六二年型乗用車以下本件自動車という)によつて、同所から東京都品川区東急観光ホテル前までの運送をうけた。
三、右運送にあたり、原告は山口運転手に対し、自己の手荷物として別紙目録<省略>記載の金属製手提カバン(以下本件手提カバンという)のほか金属製大型トランク一個、革製手提カバン一個、ウイスキー六本入カートンボツクス一個、網袋一個、合計五個の荷物の運送を依頼してこれを引渡し、右手荷物はいずれも本件自動車によつて原告と同時に運送されたものであるが、同運転手は右手荷物のうちウイスキー入りカートンボツクスを除く四個の手荷物を右自動車の後部トランク内に積込み運送したものであるところ、右運送の途上、右トランクの上蓋が開いて、本件手提カバンが同トランクから脱落してその在中物件(在中物件は別紙目録記載のとおり)とともに紛失するにいたつた。
四、右紛失は山口運転手の過失によつて生じたものである。すなわち、同運転手は、旅客から高額のハイヤー料金を徴収し、かつ一般に高価な手荷物を携帯していることの多い海外旅行者の運送にあたる被告の自動車運転手として、また、当時東京国際空港附近の道路が工事中で同所を走行する自動車がはげしく動揺することを知悉していたものとして、右旅客の手荷物を自動車の後部トランクに積込んで運送する場合には、発車にあたりあらかじめそのトランクの上蓋に施錠し、または少なくともその上蓋のリツトロツクと留金とを確実に接合してその接合状況を点検確認するなど、運送途上において右上蓋が開放することのないように万全の措置をすべき義務があつたにもかかわらず前記運送にあたつては軽卒にも右の義務を怠り、上蓋の施錠をしなかつたばかりでなく、リツトロツクと留金との接合ならびにその点検確認もしないままで出発運行した。そのため、右運送途上後部トランクの上蓋が開いて本件手提カバンが脱落紛失するにいたつたもので、右紛失はひつきよう同運転手が右の義務を怠つた過失によつて生じたものであり、しかもその過失は重大なる過失というべきである。
五、右紛失により、原告は本件手提カバンならびにその在中物件の時価(その価額は別紙目録記載のとおり)合計金一七万円に相当する損害をこおむつた。
六、被告は原告に対し、次のとおり、右の損害を賠償すべき責任がある。すなわち、
(一)、(契約上の責任)(イ)、右のとおり、被告の使用人たる山口運転手が、原被告間の旅客運送契約にもとづき原告からその手荷物として本件手提カバンの引渡をうけたものである(すなわち、本件手提カバンはいわゆる託送手荷物である)から、被告は旅客運送人として商法第五九一条第一項、第五七七条によつて原告に対し、右カバンの紛失によつて原告がこうむつた前記の損害を賠償する義務がある。(ロ)、仮に本件手提カバンがいわゆる携帯(持込)手荷物だつたりしても、その紛失につき山口運転手に前記のごとき過失があつたのであるから、被告は旅客運送人として商法第五九二条によつて原告に対し右損害を賠償する義務がある。
(二)、(不法行為責任)仮に右契約上の責任が認められないとしても、原告の前記損害は被告の使用人たる山口運転手が被告の業務執行中にその過失によつて生ぜしめたものであるから被告は民法第七一五条により原告に対し右損害を賠償する義務がある。
七、よつて、原告は被告に対し、前記損害金一七万円およびこれに対する本件訴状送達の翌日たる昭和三八年六月一五日から支払ずみまで法定利率年五分による遅延損害金の支払を求める。
(被告の抗弁に対する答弁)
一、抗弁第一項の記載について、
(一)、同項(一)記載の無過失の主張を争う。
(二)、同項(二)記載の事実中、原告が本件手提カバンの在中物件についてその種類および価額を告げなかつたことは認める。その余は争う。
(三)、同項(三)記載の主張を争う。被告主張の法令はたんなる取締規定にすぎず、原告がこれに違反したからといつて、原告の被告に対する損害賠償請求に影響を及ぼす筋合のものではない。
(四)、同項(四)記載の主張を争う。旅客運送にあたる自動車の運転手はその手荷物をその自動車の後部トランクに収蔵して運送するという場合には、その手荷物の在中物件の種類および価格にかかわらず、また旅客の指示の有無にかかわらず、当然に施錠その他トランクの開放防止措置につき万全の注意をなすべき義務があり、運転手が右の義務を全うしていさえすれば、その後部トランクに手荷物を収蔵してもこれが運送中に紛失するようなことはない。本件手提カバンの紛失はもつぱら山口運転手が右の当然の義務を怠つたことによつて生じたものであつて、原告が本件手提カバンの在中物件の内容を告げずにこれを右トランク内に積込みその施錠の指示をしなかつたからといつて、これをもつて右紛失につき原告にも過失があるということはできない。なお、原告は本件手提カバンが紛失した当夜ただちに交番におもむき警察官に対し口頭でその紛失届をしてその捜索方を依頼しているのであり、しかる以上たとえ書面による紛失届をしなかつたからといつてその捜索発見にはなんら影響がない。また、原告が被告の取締役との面談を断つたのは、当時その時間的余裕がなく、あらかじめ勤務先の上司に事情を説明して被告との折衝を一任してあつたことによるものであるが、このこと自体は本件手提カバンの捜索発見の難易になんら影響のない事柄である。
二、抗弁第二項の記載について。
(一)、同項(一)記載の主張を争う。契約上の責任と不法行為責任とはつねに競合的に成立しうると解すべきである。仮にしからずとしても、本件手提カバン紛失についての山口運転手の前記過失は重大なる過失というべく、少くともかかる重過失による損害については、契約責任のほかに不法行為責任が競合的に成立すると解すべきである。
(二)、同項(二)記載の主張を争う。
(再抗弁)
(一)、本件手提カバンの紛失は前記のとおり山口運転手の重過失によつて生じたものである。したがつて、被告は商法第五八一条により、原告に対して右紛失にもとづく全損害を賠償すべき義務があるものというべく、かかる場合には明告の有無にかかわらず、同法第五七八条による免責を主張できない。
(二)、仮にしからずとしても、原告は山口運転手に対し、本件手提カバンには大事なものが入つている旨を告げたのであり、本件のごとき自動車による旅客手荷物運送の場合においては商法第五七八条にいうところの明告義務は右のごとき内容の告知をしたことをもつて足ると解すべきである。
(三)、仮にしからずとしても、山口運転手は原告が海外旅行からの帰途であることを知り、かつ原告が同運転手に対して本件手提カバンには大事なものが入つている旨を告げたのであるから、同運転手は右カバンには前記貨幣のごとき高価品が在中することを予見しまたは容易に予見しうべかりしものであつた。かような場合には商法五七八条による免責が認められないと解すべきである。
第二、被告の申立および主張
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁ならびに抗弁、原告の再抗弁に対する答弁として、次のように述べた。
(請求原因に対する答弁)
一、請求原因第一項記載事項の事実を認める。
二、同第二項記載の事実を認める。
三、同第三項記載の事実中、山口運転手が、原告からその主張する五個の荷物のうち本件手提カバンを除く四個の手荷物の運送を依頼されその引渡をうけてこれを本件自動車によつて原告と同時に運送したこと、右手荷物のうち金属製大型トランクと革製手提カバンは右自動車の後部トランクに積込んで運送したものであること、右運送途上右自動車の後部トランクの上蓋が開いたことは認める。その余の事実は否認する。山口運転手が原告からその主張の本件手提カバンなるものの引渡をうけたことも、右カバンが本件自動車内に積込まれた事実もない。
四、同第四項記載の事実中、山口運転手が本件自動車の後部トランクの上蓋に施錠しないままこれを運行したことは認める。その余の事実はすべて否認する。山口運転手は同じ被告の運転手である倉本運転手と協力して、原告の手荷物を本件自動車の後部トランクに積込んだ後、その上蓋を閉めて、リツトロツクと留金が確実に接合されたことを点検確認したうえでこれを発進運行したものであり、かかる措置をとればたとえ上蓋に施錠をしなかつたとしてもその蓋が運行中に開放して内部の手荷物が脱落するようなことは通常あり得ないことなのであるから、右の措置をとつた以上、当該自動車の運転手としては右手荷物の運送につき要すべき注意義務を尽したというべきである。また本件自動車は使用期間一年半未満の新車であつて、かかる新車はその後部トランクのリツトロツクと留金の機能を含めてその堪荷能力に瑕疵がないのが通常であるから、かかる新車を右運送に供していた以上、被告としてもその運送につき注意義務を怠つた過失はないというべきである。されば、仮に本件手提カバンが右運送中に右トランクから脱落紛失したのだとしても、その紛失について被告ならびにその使用人には何ら過失はなかつたというべきである。
五、同第五項記載の物件(但し、貨幣を除く)の価額が原告主張のとおりであることは争わない。
六、同第六項記載の事実について、
(一)、同項(一)の(イ)記載の事実を否認する。仮に原告主張のとおり本件手提カバンが本件自動車の後部トランクに積込まれたものであるとしても、右積込は山口運転手ないし倉本運転手が不知の間に原告自身が行なつたものであり、かつ後部トランクの構造上、その上蓋が閉められた後もなお原告はその内部の手荷物につき事実上の支配を有していたというべきであるから、右手荷物はいまだ被告においてその引渡をうけていないところの原告のいわゆる携帯(持込)手荷物であつて、託送手荷物ではないというべきである。したがつて、本件手提カバンの紛失については商法第五九一条の適用はない。同(ロ)記載の事実も否認する。
(二)、同項(二)記載の事実を否認する。
(抗弁)
一、契約上の責任について、
(一)、仮に本件手提カバンがいわゆる託送手荷物であつたとしても、前記のとおり、被告ならびにその使用人は右手荷物の紛失につき無過失であるから、被告はこれにつき運送人としての損害賠償義務はない。
(二)、仮に被告に損害賠償責任があるとしても、原告は運送委託にさいし本件手提カバンの在中物件たる別紙目録(一)および(二)記載の貨幣につき、その種類および価格を明告しなかつたから、少なくとも右貨幣の紛失による損害についてはこれを賠償する義務がない。
(三)、また、外国為替管理法第四五条、第四六条、外国為替管理令第二六条第一項、大蔵省告示第一六五一号によると、外国旅行にさいし邦貨金二万円以上の携帯が禁止されているところ、もし本件手提カバン内に原告主張のごとく金七万一八〇〇円の邦貨が在中していたとすれば、原告は右禁止に違反したことになる。かかる場合には、右禁止限度額を超える金額については裁判上その損害賠償を請求することができないというべきである。
(四)、なお、本件損害の発生については原告側にも次のごとき過失があつた。すなわち、仮に本件手提カバンの中に原告主張のごとき物件が在中していたのだとすれば、原告はこれを自らの手もとに携帯保管するか、仮に山口運転手に引渡すとしても右のごとき物件中の旨を告げて同運転手をしてその保管運送につき格別の措置をとりうる機会を与えるべきであり、かつこれを本件自動車の後部トランクに収蔵して運送するという場合には同運転手に対しとくにその施錠を指示すべきであつたにもかかわらず、これを怠りその在中物件を知らせず漫然とこれを右トランク内に積込み、同運転手に施錠の指示も与えなかつた。また、原告は本件手提カバン紛失直後、警察官に対したんに口頭でその紛失を届出たのみで書面による紛失届をせず、右紛失の翌日被告の取締役が原告に対し右紛失の事情を聴取してその捜索につき協力を求めようとしたのに対しても故なくこれを拒絶してその協力をしなかつたために、本件手提カバンの捜索が困難となりついに発見不能となつたものである。されば、本件手提カバンの紛失による損害の発生については原告にも右のごとき過失があつたというべく、右過失は本件損害賠償額の算定にあたり斟酌されるべきである。
二、不法行為責任について、
(一)、仮に被告の使用人において原告主張のごとき過失があり、その過失によつて本件手提カバンが紛失するにいたつたのだとしても、それは本件のごとき自動車による旅客手荷物運送の場合に通常起ることが予想される事態であり、右運送契約本来の目的範囲を逸脱した行為によつて生じたものではない。かような場合には、運送人たる被告にその契約上の責任のほかにさらに不法行為責任は成立しないと解すべきである。
(二)、仮に被告に不法行為責任が成立するとしても、その損害賠償額は右一の(二)ないし(四)の記載と同様に減額されるべきである。
(原告の再抗弁に対する答弁)
再抗弁(一)ないし(三)記載の事実をすべて否認する。
第三、証拠<省略>
理由
一、被告が自動車による旅客の運送を業とする会社であること、原告が昭和三八年二月二七日午後一一時すぎごろ東京国際空港玄関前において、被告所属の自動車運転手で同会社の業務に従事中の山口林蔵運転手に依頼して、被告との間に自動車(いわゆるハイヤー)による旅客運送契約を締結し、同運転手の運転するトヨペツトクラウン一九六二年型乗用車(本件自動車)により、同空港から東京都品川区の東急観光ホテル前までの間の運送をうけたこと、は当事者間に争いがない。
二、しかして、証人赤星保、同岩崎孝範、同羽栗賢一、同山口林蔵(第一、二回、ともに後記措信しない部分を除く)、同倉本厳(後記措信しない部分を除く)の各証言、原告本人尋問の結果(第一ないし第三回)原告本人尋問の結果(第一回)により成立が認められる甲第一号証の記載ならびに検証の結果を綜合すると次のように認めることができる。すなわち、原告は同夜外国旅行から別紙目録記載の本件手提カバンのほか金属製大型トランク一個、革製手提カバン一個、ウイスキー入カートンボツクス一個、網袋一個の合計五個の手荷物をもつて前記空港に帰着したものであり、同空港税関において右手荷物の検査をうけたのち、出迎の同僚赤星保ならびに岩崎孝範らとともに右五個の手荷物を同空港玄関口まで運び、同所において本件自動車を雇つたものであるが、その発車にさきだち前記山口運転手ならびに当時たまたま同所において業務に従事中でかつ互いに同僚の仕事を補助していた被告の自動車運転手で右山口の同僚たる倉本厳において、右手荷物のうち、網袋を本件自動車の助手席に、金属製大型トランク、革製手提カバンおよびウイスキー入カートンボツクスを右自動車の後部トランクに積込んだ。しかし本件手提カバンは後記のごとく高価品が在中していたこともあつて原告において自らこれを携帯したまま右自動車に乗り込み、これをいつたんその助手席においた。ところがその後、山口運転手において、ウイスキーのびんは後部トランクに収蔵しておくと運送中に破損するおそれがあるとして発車前に右ウイスキー入カートンボツクスを後部トランクから助手席に積みかえたことにともない、当初本件自動車には原告のほかに前記出迎人を含めて四名が同乗する予定であつたので座席に余裕を持たせる心要があつたことから、原告において右山口運転手の指示ないし了解のもとに本件手提カバンを右ウイキー入カートンボツクスといれかえに後部トランク内の上部に積みかえた。そして倉本運転手において原告の右積込を容認し、これを見届けたうえ右トランクの上蓋を閉めたのち、本件自動車は原告らを乗せてそのまま同所から発車して目的地に向つた。ところが、途中北品川八ツ山橋附近において後続の自動車の運転手から本自動車の後部トランクが開いている旨の注意をうけ、山口運転手において後部トランクを点検したところ、その上蓋が約十糎ほど上方に開いたままになつていた。そこで山口運転手は直ちにこれをしめて再び車は進行したが、間もなく目的地の東急観光ホテルに到着して本件手提カバンが紛失していることがわかつた。そこで同夜ただちに原告ならびに山口運転手において交番の警察官に対し口頭で本件手提カバンの紛失を届ける一方、山口運転手において前記空港からの走行区間を捜索したが右カバンはついに発見されなかつた。
なお、本件自動車の後部トランクの上蓋のリツトロツクと留金の接合がはずれて上蓋がいつたん開いた場合には、走行中に自動車がうける振動によつてその上蓋がさらに数十糎以上開いてそのなかに積込まれた荷物がたやすく右トランク内から脱落する場合がありうる。かように認めることができ、右認定の事実によると、本件手提カバンは、同夜本件自動車の後部トランクに積込まれて運送される途中そのトランクの上蓋が開いたことによつて道路上に転落していずれかに紛失するにいたつたものと推認するのが相当である。証人山口林蔵(第一、二回)、同倉本厳は、そもそも本件手提カバンが本件自動車の後部トランクに積込まれた事実がない旨の証言をしているが、右供述部分は前掲の各証拠に照らしてたやすくこれを措信することができず、また証人上利周也の証言によつて成立が認められる乙第八号証記載の実験の結果もいまだ前記の認定をくつがえすに足りず、ほかに右認定を左右するに足りる適確な証拠がない。
三、ところで、本件手提カバンがいわゆる託送手荷物として運送されたものか、それともいわゆる携帯手荷物として運送されたものかにつき考察するに、前記認定の事実によると、本件手提カバンは原告が自らの手でこれを本件自動車の後部トランクに積込んだものではあるが、その積込は山口運転手の指示もしくは了解のもとに行われたのであり、倉本運転手においては原告のする右積込を容認し、それを見届けたうえそのトランクの上蓋を閉めたものであつた。しかして、本件のごとく、旅客の手荷物を旅客運送用の自動車の後部トランクに収蔵して運送する場合、そのトランクの蓋の施錠ないし開閉はもつぱら旅客運送人においてこれを行うべきものであつて、その同意がないかぎり旅客においては自由にこれをなし得ない性質のものというべきであるから、いつたんその蓋が閉められた後は旅客はもはやその内部に積込まれた手荷物を事実上支配することができず、その支配はもつぱらその運送人のもとに移転すると解するのが相当である。したがつて、自動車による旅客運送人において、旅客がその手荷物を後部トランクに積込むことを指示ないし容認してその積込がなされたのちその蓋を閉めたという場合には、そのことによつて旅客からその運送人に対し当該手荷物の引渡がなされたというべきである。されば、本件手提カバンは被告が原告からその引渡をうけたところのいわゆる託送手荷物であつたと認めるのが相当である。
四、そこで次に、右手荷物の紛失につき被告およびその使用人が無過失であつたかどうかについて判断する。検証の結果ならびに証人上利周也の証言によつて成立の認められる乙第六号証の記載に証人山口林蔵(第一、二回)、同倉本厳の各証言および原告本人尋問(第一回)の結果を綜合すると、通常本件自動車と同一型式の自動車はその後部トランクの上蓋に手をかけてこれをおろすとそれだけでそのリツトロツクと留金が自動的に接合し、いつたんその接合がなされればとくに鍵をさしこんで施錠をしなかつた場合であつても運行中にその蓋が開くということはないのであるが、ときによつては上蓋をおろしてもそれだけではリツトロツクと留金が確実に接合しない場合もあり、またいつたんその接合がなされたとしても鍵をさしこんで施錠しておかないかぎりそれだけでは、上蓋の押ボタンになんらかの力が作用し、または運行中当該自動車に比較的強度の衝撃が加わる等、なんらかの事情があると、その接合がはずれて上蓋が開き内部の荷物が脱落する危険があること、もしその場合鍵をさしこんで施錠しておけばそのような危険がなくなること、しかもその施錠の措置はたんに押ボタンに鍵をさしこんで廻すだけのきわめて簡単な操作で足りるものであること、が認められる。されば、営業として旅客の運送にあたる者は、旅客の託送手荷物の安全確保につき善良なる管理者の注意義務を有するものとして、右のごとき自動車の後部トランクに旅客の手荷物を収蔵して運送するという場合には、その蓋を閉めるにあたつて確実にそのリツトロツクと留金を接合してその接合状況を点検確認すべきはもちろんのこと、さらにこれに鍵をさしこんで施錠をし、仮りにもその蓋が運送中に開くことのないように措置すべき義務があるというべく、その義務を怠つて後部トランクの蓋が開き、そのために旅客の手荷物がそのトランク内から脱落して紛失したという場合にはその紛失につき保管上の過失があるというべきである。しかるところ、被告の使用人として本件運送にあたつた前記山口ないし倉本運転手は、原告の手荷物が本件自動車の後部トランクに積込まれていたにもかかわらず、発車前にあらかじめこれに施錠する措置をしなかつた(このことは当事者間に争いがない)ばかりでなく、前記認定の事実をあわせて考えると、倉本運転手が後部トランクの蓋を閉めたときにはいまだそのリツトロツクと留金の接合も確実になされていなかつたのに同運転手は、すでに右接合がなされたものと軽信してその点検をしないまま発車運行せしめてしまつたのではないかとすら推認されるのである。されば、被告の使用人たる山口ないし倉本において、原告の手荷物たる本件手提カバンの引渡を受け、これを原告とともに運送するにさいし、その安全確保のためのトランク開放防止措置につき右のごとき注意義務を怠つたのはひつきよう運送品の保管につき過失があり、その過失によつて本件手提カバンが紛失したものというべく、被告の無過失の主張はとうてい採用できない。
もつとも原告は右過失をもつて重大な過失であると主張するのであるが、前記のとおり、倉本運転手は発車前あらかじめ後部トランクの蓋を閉める措置をしたのであり、しかる措置をすればそれだけで、運行中にその蓋が開くという事例は多くないものであるから、倉本が右の措置をした以上、右倉本ならびに山口運転手において右の開放防止措置につき前記のような過失があつたからといつて、これをもつて重大な過失とは認めがたい。
五、したがつて、被告は原告に対し、旅客の運送人として本件手提カバンの紛失によつて原告がこうむつた損害を賠償する責任のあることは明らかである。そこで以下その賠償額について検討する。
(一) 前記甲第一号証の記載に原告本人尋問(第一ないも第三回)の結果を綜合すると、本件手提カバンには別紙目録(一)および(二)記載の金額の貨幣ならび同目録(三)ないし(五)記載の各物品が在中しており、右在中物件はそのまま右カバンとともに紛失したものであることが認められる。したがつて、原告は本件手提カバンの紛失によつて、そのカバンの価額ならびに在中物件の価額(右カバンの価格ならびに貨幣を除くその余の在中物品の価額がそれぞれ別紙目録記載のとおりであることは当事者間に争いがない)の合計金一七万円に相当する損害をこうむつたことになる。
(二)被告は、右損害のうち、貨幣の紛失による合計金一四万三八〇〇円の損害について商法第五七八条による免責を主張する。そして、原告が前記山口ないし倉本運転手に本件手提カバンの運送を委託するにあたり、右貨幣の種類および金額をそのとおりに告げなかつたことは当事者間に争いがない。
もつともこの点につき原告は、右損害の使用人の重過失によつて生じたものであるから、被告はその損害につき右法条による免責を主張できないと主張する。しかし、被告の使用人に重過失ありと認められないことはすでに認定のとおりであるから、原告の右主張を採用できないことは明らかである。
原告は、右託送にあたり原告が山口運転手に対し本件手提カバンには大事なものが在中している旨を告げたことにより同条所定の明告義務を尽したことになると主張する。しかし、そもそも原告が右のごとき告知した旨の証人羽栗賢一の証言ならびに原告本人尋問(第一、二回)の結果はいずれもたやすくこれを措信しがたく、ほかにその事実を認めるに足る証拠がないのみならず、仮に原告が右のごとき表現をしたとしても、そのような内容の表現ではいまだ同条にいう明告の義務が尽されたということはできない。けだし、同条は当該物品についての具体的な「種類および価額」を明示することを要すべきものと規定しているところ、たんに漠然と「大事なもの」というがごとき抽象的な内容の表現ではまだその物品の種類はもちろんその価額がまつたく不明であるから同条の規定する明告事項を告げたことにならないのみならず、同条が高価品について右のごとき事項の明告を要するとした趣旨は、それにつき生ずることあるべき損害額が多額にのぼることから、運送人をしてあらかじめその取扱につきその種類に応じた特別の配慮をなさしめるとともに、損害が生じた場合の賠償額の最高限度額を右の告知額に限定して、その限度額をあらかじめ運送人に予知せしめるためのものであると解されるところ、たんに「大事なもの」というだけでは、いまだ運送人においてその物品の種類に応じた取扱をするという余地もなく、またその物品について生ずべき損害額の最高限度も確実せず、運送人においてこれを予知しうべくもないからである。この点の原告の前記主張は採用できない。
また、原告は、仮に原告が商法第五七八条所定の明告義務をつくさなかつたとしても、山口運転手において本件手提カバンには右貨幣のごとき高価品が在中することを予見しまたは容易にこれを予見しうべかりし状況にあつたのであるから、被告は同条による免責を主張しえないと主張するが、たんに原告が外国旅行から帰着したばかりの旅客であるということを山口運転手らにおいて知つていたからといつて、直ちに本件手提カバンの中に右のような高価品があるものと察知し得べきはずはなく、その他本件全証拠によるもいまだ右のごとき事実を認めるに足る証拠がないから、原告の右主張もまた採用できない。
されば、その余の点を判断するまでもなく、被告は原告に対し、前記貨幣の紛失による損害については、少なくとも契約上の責任としてはこれを賠償する義務がないといわなければならない。
(三) 被告は、過失相殺による賠償額の減額を主張する。この点につき、被告はまず、原告が本件手提カバンの内容を知らせないままこれを本件自動車の後部トランクに積込み、また山口運転手に対し右トランクの施錠方を指示しなかつたことをもつて、原告の過失であると主張する。しかし、前記認定のとおり右積込は山口ないし倉本運転手の指示ないし了解にもとづいて行われたものであるのみならず、もし右運転手において右トランクに施錠するなどその開放防止措置の義務を全うしていさえすれば、右トランクは本件手提カバンのごとき内容の手荷物の保管場所としても適当でないとはいえないのであるから、原告がこれをそのトランクに積込んだからといつてそのこと自体なんら原告を非難するにたらず、またそのトランクに施錠その他の開放防止措置をほどこす義務自体は、そのなかに収蔵される手荷物の内容いかんにかかわらず、また旅客の指示の有無にかかわらず、およそ旅客の手荷物をそのトランク内に収蔵して運送する以上、運送にあたるものが当然に行うべき義務なのであるから、原告が本件手提カバンの内容を告げず、また運転手にトランクの施錠方を指示しなかつたからといつて原告にも過失があるということはできない。
つぎに被告は、原告が本件手提カバン紛失後その捜索発見に協力しなかつた過失があると主張する。しかし、前記認定のとおり原告は右紛失後ただちに山口運転手とともに交番におもむき警察官に対し口頭でその紛失届をしてその捜索方を依頼しているのであり、また原告本人尋問(第一ないし第三回)の結果によると、原告はその上司に対し右紛失の事情をつぶさに報告して被告との一切の連絡を依頼し、その旨被告にも知らせてあつたことが認められるのであいて、原告が右のごとき措置をとつた以上、その捜索発見につき協力を怠つたということはできない。
よつて、被告の過失相殺の主張は採用できない。
(四) 結局、被告は原告に対し、運送契約上の責任としては、原告が本件手提カバンの紛失によつてこうむつた前記損害のうち、貨幣の紛失による損害金一四万三八〇〇円を除いたその余の損害金二万六二〇〇円についてこれを賠償する義務があることになる。
六 そこで次に、前記貨幣の紛失による損害について、被告に不法行為上の責任としてはなおこれを原告に賠償する義務があるのかどうかについて判断する。その在中物件たる右貨幣を含めて本件手提カバンの紛失による損害が被告の使用人がその業務の執行につきその過失によつて生ぜしめたものであることはさきに認定したところからあきらかなところである。しかし、前記認定の事実によると右過失の内容は右使用人たる山口ないし倉本運転手が原被告間の旅客運送契約にもとづいて原告の手荷物たる本件手提カバンを本件自動車の後部トランクに収蔵して運送するにさいし、その発車前にあらかじめそのトランクの蓋を閉めただけで、そのリツトロツクと留金の接合が確実になされていなかつたのにこれをなされたものと軽信してその点検を怠り、またこれにあえて鍵をさしこみ施錠をしなくともその蓋が開放することはないものと軽信してその施錠を怠つたというものであつて、かかる態様の過失は本件のように自動車による旅客運送契約の場合においては通常起ることが予想される過失というべきである。しかして、そもそもかような態様の過失によつて生じた損害については、運送人に、運送契約上の責任のほかにこれと競合して不法行為上の損害賠償責任の成立を認めうるかどうかについては、かねて争いの存するところであるが、この点はしばらくおくとして、少なくともこのような過失すなわち軽過失にもとづいて高価品について生じた損害については、その種類および価格についての明告がなかつたために運送人が契約上その損害を賠償する責任を負わないという場合には、不法行為上もその責任を負わないと解すべきである。けだし、かく解さなければ、せつかく運送人に認められた商法第五七八条による保護が全く有名無実に帰してしまうからである。
されば、被告会社は前記貨幣の紛失による損害については不法行為上の賠償責任もないというべきである。
七、よつて、その余の点を判断するまでもなく、原告の本訴請求は被告に対し金二万六二〇〇円の支払ならびにこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和三八年六月一五日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の支払を求める限度において理由があるのでこれを認容し、その余の部分については理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 浅沼武 篠原幾馬 渡辺忠嗣)